茗荷谷通信
株式会社システム科学の最寄り駅である地下鉄茗荷谷駅。 このコーナーでは、弊社に訪れた際にふらりと立ち寄れる茗荷谷周辺の見どころや歳時記をご紹介しています。
第16回 茗荷谷通信「ガラシャの夏」
昨年の大河ドラマ『いだてん』の主人公である金栗四三が文京区で青春時代を過ごしていたことは、以前、この「茗荷谷通信(第4回)」でもご紹介しました。 さて、今年の大河ドラマは明智光秀を主人公にした『麒麟がくる』。戦国時代末期の物語であり、主人公の明智光秀は美濃の国出身、一見東京の文京区とは何の関係もなさそうですが…。でも、ちょっと待って! 明智光秀の娘って確か細川ガラシャ、つまり細川家ですよね!…確か近くに「細川」という名前のついた庭園があったような気が…。
と言う訳で、学生時代、日本史を選択しなかった私(取材班)が向かった先は、東京メトロ有楽町線江戸川橋駅。駅から1キロほど神田川沿いを西に歩いた先…。そう、こちらに「肥後細川庭園」があるのです。「肥後細川庭園」は、幕末には熊本54万石の細川侯の下屋敷に、明治15年には細川家の本邸となった所です。その後は東京都が買収し昭和36年に「新江戸川公園」として開園し、昭和50年に文京区に移管されました。
それでは、早速、庭園に入ってみましょう。門から入るとすぐに展開される大泉水への視界。「肥後細川庭園」は大きな池を中心として、その周囲の園路を歩きながら、広がりのある池や背後の山並みなど様々な風景の移り変わりを観賞出来るように設計(配置)されています。これは池泉回遊式庭園という様式で日本庭園の集大成のカタチとも言われています。園路にそって池を一周すると、最初に見た風景が再び眼前に広がるように、庭園全体が趣向を凝らしてつくられているのです。生を謳歌するように立ちはだかる青々とした木々、その隙間から流れ星のようにこぼれ落ちるキラキラした木漏れ日、競うように鳴り響くセミの声…。汗を拭きながら眺めるその景色はなぜか子供の頃の夏を思い起させてくれます。歩を止めてふと振り向くと、池を借景とした松聲閣(しょうせいかく)が。この松聲閣は、元々は細川家の学問所だったところで、今では貴重な大正時代の建造物です。入り口には細川ガラシャを紹介する小冊子が置かれています。松聲閣は歴史性を活かした整備工事などを行い、平成28年1月にリニューアルオープンし、今に至ります。
庭園内にある建物「松聲閣」
林の中の散歩道を上ると、美術館「永青文庫」が見えて来ます。細川家の十六代、細川護立氏が設立した「永青文庫」は国宝8点を含む約6千点の美術工芸品と6万点近い歴史資料を所蔵。昭和初期に細川家の事務所として建てられた白い洋館をそのまま使用しています。 所蔵品の中には、細川家が収集した美術品や光秀、ガラシャに関連する資料も多く、過去には光秀から細川藤孝とガラシャの夫忠興に宛てた「明智光秀覚条々」やガラシャの書状が公開されたこともあるそうです。現在は能面の展示をしているのだとか…予約せずに入れるので、いつでもフラッと訪れることができます。
そして、「永青文庫」と隣接する「和敬塾」の本館は元細川家本邸。外観は英チューダー様式を基調にしているものの、室内は和洋折衷の作りとなっています。現在は男子学生の寮、教養講座の場に活用されているそうです。
永青文庫の入り口
さらに歩を進めて、樹林の中の山道をしばらく登ると、樹間から眺められる大泉水の眺めが何とも印象的です。 目白台の台地の自然景観を活かして作られた癒しの庭園「肥後細川庭園」。無料で入れるためかご近所の方が一休みしている姿も見られます。
ちなみに、今、松聲閣受付で永青文庫の入館チケットを見せると庭園内喫茶「椿」の呈茶代が100円引きになったり、喫茶「椿」利用者に永青文庫の割引券がプレゼントされるなど、嬉しいキャンペーンが。庭園と美術館セットで夏のお出かけ先の候補として考えてみてはいかがでしょうか?(詳しくは肥後細川庭園HPをご覧ください)
本能寺の変で謀反人の娘となり、幽閉され、そして解放。後にキリスト教に傾倒していった珠(後のガラシャ)の波乱の人生に思いを馳せる時、真夏の熱い空気のなかに一瞬、凛とした涼やかな風が吹いたような気がしたのは、私の気のせいだったのでしょうか。
写真のガラシャ像は、京都府長岡京市勝龍寺城のものです
※お出かけの際は、新型コロナウイルス感染予防を万全に!
2020年8月27日
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