茗荷谷通信

株式会社システム科学の最寄り駅である地下鉄茗荷谷駅。 このコーナーでは、弊社に訪れた際にふらりと立ち寄れる茗荷谷周辺の見どころや歳時記をご紹介しています。


第4回 茗荷谷通信 「嘉納治五郎の二つの顔と二つの像」

2020年の東京オリンピックまで、あと一年ほどとなりました。過熱を極めた観戦チケットの抽選も終わり、その結果が発表になりましたが、皆様の当選結果はいかがでしたか? いつの間にか抽選期間が終わってしまい、流行りに乗り遅れて申し込みすらしていなかった私は、来年の七月は当日席(自宅テレビ前)にて観戦予定です。

さて、来年の東京オリンピックにむけて、2019年のNHK大河ドラマでは『いだてん』が放送されており、日本が初めて参加したオリンピック、そして東京へのオリンピック招致について再び関心が集まっています。大河ドラマの主人公である“日本マラソンの父”金栗四三にまつわる場所は文京区に多いのですが、今回は彼の恩師であり、日本が初めてオリンピックへ参加した時の立役者、嘉納治五郎(ドラマでは役所広司さんが演じています)についてご紹介したいと思います。

学生時代から虚弱な体質であった嘉納治五郎は、力の弱い者でも強者に勝てるという精神に感銘を受けて、文明開化の時流において軽視されていた柔術に入門。武術としての柔術からスポーツとしての『柔道』を創り出し、講道館を設立しました。そして柔道に留まらず、東洋発の国際オリンピック委員会委員となった彼は、現在における日本スポーツ協会を設立して会長となり、日本が初参加するストックホルムオリンピックでは団長を務めました。設立当初は台東区にあった講道館は現在文京区後楽にあり、入口にはじっと明日を見つめるかのような嘉納治五郎の像があります……①

他方、嘉納治五郎には “日本の体育の父”、“柔道の父”としての顔だけでなく、明治26年から25年間東京高等師範学校(現在の筑波大学)の校長を務めるという教育者としての顔もありました。現在の熊本大学の校長を務め、現在の灘中学校・高等学校に関わるなど教育者としても大きな役割を担い様々な活動を行ってきました。
東京高等師範学校はその後1949年に東京教育大学に名称を変えますが、1978年に筑波大学へ移管するまでは文京区大塚に大塚キャンパスを保有していました。嘉納治五郎が校長を務め金栗四三が通っていたのも、茗荷谷をおりてすぐのところにあるこの大塚の校舎でした……②

教育の森公園を入った先、占春園の中に「東京高等師範学校の校長」として「嘉納治五郎先生の像」が立っています。これが、今回ご紹介する嘉納治五郎、二つ目の像です……③

占春園の中は筑波大学付属小学校の生徒たちのマラソンコースになっており、嘉納先生は今でも眩しく差し込む木漏れ日の中から生徒たちを優しく見守っています……④

2019年7月9日