茗荷谷通信
株式会社システム科学の最寄り駅である地下鉄茗荷谷駅。 このコーナーでは、弊社に訪れた際にふらりと立ち寄れる茗荷谷周辺の見どころや歳時記をご紹介しています。
第7回 茗荷谷通信 「学生街」
皆さんは「学生街」と言うと、どの街を連想しますか?御茶ノ水、高田馬場、渋谷…。実は、ここ茗荷谷も駅の近くにたくさんの大学・高校があるのです。今日はそんな意外な「学生街」茗荷谷のお話です。
日本のカルチエ・ラタンと呼ばれる街、御茶ノ水。かつて大ヒットした「学生街の喫茶店」という曲は、御茶ノ水に実在したある喫茶店をモデルにして作られました。今では、いくつかの大学・高校が郊外へと移転してしまいましたが、神保町の古書店街やレトロな雰囲気の喫茶店などの存在で、御茶ノ水は今なお「学生街」の代表というイメージがありますね。
一方で、「学生街」のイメージ調査ではあまり名前が上がらない茗荷谷ですが、実は、ここ茗荷谷にもたくさんの大学・高校があるのです。筑波大学、同付属高校、お茶の水女子大学、同付属高校、跡見学園女子大学、同付属高校、拓殖大学、東京大学、貞静学園短期大学…。こんな小さな駅の周辺に7つの大学とたくさんの高校が集まっているのです。こうなると、茗荷谷はもう立派な「学生街」と呼べるのではないでしょうか。しかも、どの学校も由緒正しい歴史のある名門校ばかりです。では、なぜここ茗荷谷に、これほど多くの学校が集まったのでしょうか。我が取材班は、時を超えて江戸時代に飛びました。
●地下鉄丸ノ内線 茗荷谷駅
●お茶の水女子大学
江戸時代、現在の文京区湯島に幕府が管轄する「昌平坂学問所」が開設されました。ここでは旗本の子弟だけでなく一般の聴講も許され、学問の門戸が大きく開かれました。また、文京区本駒込にある吉祥寺の境内には後の駒澤大学の前身となる「栴檀林」(せんだんりん)が作られ、「昌平坂学問所」と並び、この一帯は一大研究地となったのです。明治時代に入り、政府が大名屋敷を接収すると、政府はその広大な土地を様々な用途に転用し、東京師範学校、東京女子師範学校、日本初の図書館などを次々と開設。その後、この二つの学校は高等師範学校に昇格し、現在の国立大学へと発展していきます。旧武家屋敷の跡には多くの学校が設立され、全国から最先端の学問を学ぼうと多くの若者が集まり、街は学生たちで大いに賑わいました。森鴎外、夏目漱石、樋口一葉、石川啄木といった近代文学を代表する文人もこの地に集まり、後にたくさんの名作を残したことはもう皆さんご存じの通りですね。
歴史をひも解くと、今の茗荷谷が学生の街である理由が分かるような気がします。学生さんが多いだけあって、茗荷谷駅周辺には安くてボリュームのある定食屋さんがいくつかあります。そう言えば、夏目漱石の小説の主人公・三四郎が東大の講義をサボってライスカレー(今で言うカレーライスです)を食べたお店も、この辺だったのかも…。明日のお昼ご飯は茗荷谷で「stray sheep」とつぶやきながらカレーを食べてみるのもいいかも知れません。
●筑波大学 東京キャンパス
●跡見学園女子大学
2019年11月12日
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