茗荷谷通信
株式会社システム科学の最寄り駅である地下鉄茗荷谷駅。 このコーナーでは、弊社に訪れた際にふらりと立ち寄れる茗荷谷周辺の見どころや歳時記をご紹介しています。
第3回 茗荷谷通信 「石川啄木終焉の地」
昨今、ゲームやアニメ、ゲームなどにも取り上げられている『文豪』。 文京区は旧帝国大学(現在の東京大学)があったという立地ゆえに、全国各地から最新の学問を学びに数多くの文豪たちが上京して暮らしていました。 岩手県で生まれた石川啄木は文学で身を立てることを夢見て何度も上京し、詩人・歌人・評論家として様々な作品や功績を残しますが、旧小石川区久堅町(現文京区小石川区五丁目)に転居してから一年ほどで結核に倒れ26歳の若さで亡くなります。
石川啄木の名前と作品が結びつかない方も、
「ふるさとの訛なつかし停車場の人ごみの中にそを聴きにゆく」
という短歌は聞き覚えがあると思います。
故郷が恋しくなって、上野駅の停車場で列車から降りてくる乗客たちの話す故郷の言葉を聞いて遠き岩手を感じる……。そういえば大阪出身の筆者も、上京したての頃はテレビで漫才師の話す大阪弁を耳にするたびに故郷の大阪を思い出していました。優れた作品の根底に流れる魂というものは、時代や空間を超えて誰かの心に響くものがありますね。
さて、文京区にある『石川啄木終焉の地』には彼の最後の歌二首を書き留めた直筆原稿を陶版にしてはめ込んだ歌碑があります……①②③
①
②
③
「眼閉づれど、心にうかぶ何もなし。さびしくも、また、眼をあけるかな。」
それぞれ、31文字の中に、病に苦しむ石川啄木の心情がまざまざと浮かび上がっているように感じます。 彼の最期を思い、そっと手を合わせます。
岩手から上京してきた石川啄木は文京区内を転々としています。そんな彼の足跡や文京区の関わりについて紹介しているのが
文京区小石川にある「石川啄木顕彰室」……④
開室時間は午前九時から午後五時まで、お時間に気を付けて是非足をお運びください。
④
2019年6月4日
働き方改革や業務の可視化、HIT.s法の導入については下記からお問い合わせください